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もちもち動物園

楽しい働き方研究ブログ。第二新卒転職→ブラック企業勤務→宮崎移住。

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「俺のほうが辛い」と過労自殺した電通の新入社員をけなすブラック企業社員の叫び

過労自殺をしたという電通の新入社員のニュースを受けて。

 


「死んでしまいたい」過労自殺した電通の新入社員 悲痛な叫び

 

優秀な若者の命がブラック企業的違法労働によって奪われたことに怒りを覚えた。

 

過労死ラインを超える月100時間の残業や、飲み会のセッティングによるプレッシャー、「女子力が足りない」などという、もはや仕事とは無関係な(しかし、被害者にとっては過剰なストレスを生む)どうでも良い指導まで。

 

新入社員でまだ何も分からない中、さぞかし辛かっただろうと思う。

 

被害者と比較して社畜自慢をし始めるブラック企業社員

 

しかし、こうしたニュースがあると、こんな発言をTwitterなどで目にすることがある。

 

「俺でもそのくらい働いている」

「たかが100時間くらいで」

 

こんなような発言をするやつが、必ずいる。

さらには、

 

「我慢が足りない」

ゆとり世代だから」

 

と、人格攻撃を始めるやつまで出てくる。

 

そういうやつは、一度冷静になって考えてみて欲しいと思う。

 

労働時間だけ比較して攻撃する愚かさ

 

愚かなのは、労働時間だけを比較して「俺のほうが辛い」などとのたまう悲観論者だ。

 

僕もブラック企業で月500時間働いた事があるから、長時間労働の辛さはある程度理解していると思うし、残業時間が長ければ長いほど辛いという主張もわからなくはない。

 

でも、働いている時間と同じくらい重要なのは、働いている間に何をしているかである。

 

同じ3分間でも、

 

  • 水の中で息を止めて我慢する3分間
  • サウナの中で我慢する3分間
  • 座って待つ3分間

 

上記の辛さはすべて違うのは明白である。多くの人にとって、水の中で息をとめて3分間待つことは座って待つよりも、地獄のような、圧倒的な苦しみを味わうことになると思う。

 

水中にもぐって余裕を感じるのは最初だけ。1分を過ぎたあたりから余裕がなくなり、1分半に差し掛かる頃から手足をじたばたさせずにはいられなくなる。2分を超えれば喉をかきむしりたくなるような息苦しさに全ての思考を支配され、歯ぎしりをしながらぎょろつくような目で周囲をにらみつけるのだ。3分に近づくと1秒1秒が永遠のように感じられ、細胞のひとつひとつが酸素欠乏でプチプチと死んでいくような生命の危機に襲われながら「死ぬ、死ぬ、死ぬ」と声にならない叫びをゴポゴポとやるしかない。

 

この1秒と、座って待つ1秒の重みは全く別物だ。やっていることが全然別なのだから。比較することすらバカバカしい。

 

さて、被害者を攻撃するブラック企業社員たち。奴らの中に、被害者の行動内容を把握していた者はどれだけいるのだろうか。把握せずに労働時間だけを見て「俺のほうが長く働いているから被害者は単に我慢弱いだけ」と言うのなら、そいつは今すぐ水中に沈めてしまえばいい。時間の長さだけで辛さを比較するのが愚かなことを、酸素欠乏の地獄の中で学べば良いのだ。

 

そもそも、労働の辛さは客観視できない

 

仮に、全く同じ仕事内容だったとしても、実行する主体によって辛さは変わる。

 

さっきの水中で3分間我慢する話でも、水泳選手や素潜りの名手、海女さんたちでは話が違ってくるだろう。

 

これは想像でしかないが、被害者の方がもし折衝ごとが苦手だとする。そうすれば、飲み会のセッティングに多大なストレスを感じるだろう。結果、多大な長時間労働との相互作用を生み、「死んでしまいたい」という負のスパイラルを生んでしまうこともあるかもしれない。

 

過労死ライン80時間は短い?

 

過労死ラインが月80時間というのは、ブラック企業社員からすると「そんなの残業のうちに入らねえよ」かもしれない。しかし、労働の辛さは時間で相対化できないことを考えると、妥当なラインだとも思う。

 

9時6時出勤の場合、夜10時まで残業していたら簡単に過労死ラインなんて越してしまうのである。終電で帰るサラリーマンの多さを見れば、この時間設定は「甘すぎ」と感じてしまうこともあるかもしれない。

 

しかし、大前提として、仕事は命を奪うためのものではないし、命を削るためのものでもない。長く働いたから偉いわけでもなく、会社への忠誠心が天国への階段になることもない。

 

それなのに、「たかが仕事」に命を奪われるなんてどうかしているし、過労死ラインを越した越さないのチキンレースも不毛なのだ。