もちもち動物園

楽しい働き方研究ブログ。第二新卒転職→ブラック企業勤務→宮崎移住。

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熊本地震直後に被災地へ復旧応援に行かされた話

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移住したことで体験できたことは少なくないが、自分にとって最もセンセーショナルだったのは、4月の熊本地震を経験したことだ。しかも、自分の会社がそれによって大きなダメージを負ったため、間接的な被災者ともなる。

そんな中、僕が熊本地震の震災復旧応援で、余震のやまない熊本へ向かった時のことを書こうと思う。


熊本地震の応援


僕の働いている店が、熊本地震の影響を受けてぼろぼろになったので、復旧の応援に行ってこいと言われた。震災後1週間も経たない、4月の下旬のことだ。

僕らは従業員同士の車の乗り合いで、熊本へ向かった。14時の出発だ。熊本へは、熊本インターを目指す。通常ならば、2時間ほどで到着する距離である。

メンバーは、ベテラン社員1人と、若手1人。何もわからないペーペーの僕、合計3人。出発直前で、余震がやまないという話を聞く。重苦しい空気が流れた。

当然の流れで、車中ではもしもの事が起こった場合にどうするか、という話になった。ベテラン社員は「とにかく揺れたらなにもかも放っぽり出して、障害物の落ちてこないところに行け。作業をする場所を変えるたびに、事前に逃げる場所を考えておくんだ。さもないと死ぬぞ。落下物に押しつぶされて、圧死だ」と教えてくれた。


街の風景が変わる


えびのを過ぎてから熊本県へと越境していく中、26のトンネルが連続する。旅行ならば、一つ一つのトンネルを抜けるたびに熊本へ近づくことが感じられて嬉しいのだが、今回は違う。トンネルに入るたびに暗転する視界が、鼓動を早める。ふと目をやると、「災害支援センター」の表記がされたワンボックスカーが通り過ぎる。岡山ナンバー、続いて神戸ナンバー。震災被害の大きさを、如実に指し示している。

高速で1時間ほど走った後、渋滞につかまった。速度規制だ。

本来降りる熊本インターよりも50キロほど手前の八代インターで降りなければならなかった。そこからは、ひたすらの渋滞だ。

八代からは、熊本市方面に北上していく。渋滞のためじわりじわりとしか進むことができない。が、それによって、街の変化を露骨に感じることができた。

「家が崩れている……」

少しずつではあったが、景観がかわってきた。家の外壁にはヒビがが入り、屋根の瓦が落ちている家も多数。応急処置でビニールシートがかけられている。途中で入ろうと思ったホームセンターは、ガラスがすべて割れていた。とても入れそうになかった。

熊本は比較的老朽化した家が多いのだろう、耐震強度の高そうな建物は少ないようだった。したがって、地震の影響をもろに受けていたのだろう。

コンビニは一応営業していたが、断水状態でトイレは使えない。水もほぼ品切れ状態。張り紙には「地震のため、物資が供給されていません」との文字がマジックで走り書きされていた。

街が機能していないのだ。
機能が麻痺しているのだ。

震源地に近づくに連れてひどくなる被害状況を見つめながら、僕らはひたすらに沈黙した。


到着、地獄絵図


熊本の店舗に到着したとき、
実に七時間が経過していた。

ヘルメットをかぶって店内に入ったとき、僕らは唖然とした。熊本の店舗は、入って目の前にエスカレーターが存在するのだが、それが崩れて商品陳列棚の上に横たわっていた。

ふと見ると、地面がびしょ濡れになっている。おそらくスプリンクラーが作動したのだろう。水たまりには訳の分からない油がぎらつきながら混じっている。

当然電気はつかないので、暗闇の中の作業となった。ヘルメットの上からヘッドライトを付けて、細い光で足元を照らしながら進む。

この閉塞感はなんとも表現し難いのだが、まるで、店全体が時の止まった透明な牢獄に幽閉されているようだった。

チラシの特売POPは地震の日付でとまっている。大型の犬小屋は棚から落ちたまま、片付けられることなく落下物の一部と化している。ペットフードは腐り、パウチの袋から漏れ出た中身が悪臭を放っている。日用消耗品売り場はシャンプーやリンスのボトルが大量に倒れてきたせいで、足の踏み場もない。自分が知っている店の風景と違いすぎて、途方もなくなる。

「こんな状態で、復旧なんてできるのかよ……」

無残にも破壊された店は、人から見放されて捨てられた過去の建築物のようだった。3.11の立ち入り禁止区域を思い出す。放射線まみれで、誰も近づけない街。誰もいない街。


被災地での作業は「捨てる」こと


僕の指示された仕事は、落下して使えなくっ他商品を拾い、使えそうなものと使えないものに仕分ける作業だった。使えるものはバケツに突っ込んでまとめておく。使えないものはダンボールに詰め、一定数たまったら台車に載せてゴミ集積場まで持っていく。


ほこりで汚れたクマのぬいぐるみを眺めていると、

「いいよ、それも捨てろ。捨てろ」

と、現場リーダーの声。
しかし、そこまで汚れているわけでもない。迷っていると、

「いいんだよ、地震保険が出るから」

そう言われて、クマのぬいぐるみはひったくられ、ゴミの山に投げ入れられた。

「言われたとおりにさっさと処理して。早く」

仕方なくそれらを集積場まで持っていくと、上から泥、ほこり、プラスチックの破片、ガラス、塗料、オイルが次々とぶちまけられていく。ぬいぐるみはあっと言う間にそれらと混ざってぐちゃぐちゃになった。僕は何かすごく悪いことをしているような気がした。

復旧のためには、この大量の落下物を処理しなければならない。それはわかる。しかし、人の手に取られ、人の手を助け、喜ばせるべきものとして生まれた商品たちが、簡単に捨てられてゴミと化していくことに、僕は動揺した。そして、処理という便利な言葉の中に、製品を簡単に打ち捨てるような冷徹さが包含されていることを知った。


復旧のきざし


暗い気持ちに支配されかけていたとき、店内の明かりがついた。そして、店内にBGMが流れた。電気が復旧したのだ。

その時の光景は、目に焼き付いて離れない。僕ら宮崎からだけでなく、他地域からの応援者の姿が見えた。暗闇で見えなかった彼らの頑張る姿が視界いっぱいに広がった。

思わず僕は作業を止め、皆の姿が見える吹き抜けへと向かった。すると、100人にも及ぶであろう九州中の応援者が、ホコリまみれになりながら働いている。タオルで汗を拭きつつ、ガレキを運んでいる。スプリンクラーでびしょ濡れになった床も、モップで掃除されている。

店内を見渡すたびに、復旧のために力を尽くす人の頑張りが見えた。

この店は、死んでいない。見放されてもいないし、見捨てられていない。100人にも及ぶ人の手によって、復旧しようとしている。

近くに人がいること、精一杯頑張っていること。これを認識することで、これほどに救われるのか。

それからは10分に一回訪れる余震も気にならなくなった。

作業の合間に見せから出ると、女性社員による炊き出しが行われていた。カレー、カップ麺、飲料水が並ぶ。それらは僕らのためだけでなく、地域の人々へも提供されていた。

熊本地震において学んだこと


その後、僕らは車中泊を重ねながら店内を整備していった。状況はゆっくりと、しかし着実に改善していった。

結果、店は驚異的なスピードで部分オープンし、数日後に全面オープンを果たした。連日の盛況を重ね、セール期間を遥かに上回る売上を見せており、それは夏に差し掛かる今でさえ、続いている。


僕がこの震災復旧応援で学んだのは、「視野狭窄にならないこと」だ。

大きな災害が起こった時、目の前に広がる光景は有無を言わさぬインパクトがある。それによって、人々がネガティブな気持ちに支配されることは容易に起こりうる。簡単には拭えない、負の感情が迫ってくるのだ。

しかし、それで視野狭窄に陥ってはいけない。災厄の思う壺た。

だからこそ、状況が一歩でも改善されていること、誰かが力を貸してくれていることに気づくべきだと思う。電力の復旧が周りの応援者を照らして見せてくれたように、視界を広げれば、何かしら手を差し伸べてくれる人がいるかもしれない。そういった人によって、状況は改善されているのだ。少しでも。